日本における発達障害とは? 発達障害はどこからやってきて,いま増えている(?)のか? 精神科医は何を思って診察しているのか? 子どもたちはどうやって過ごしている? 母親たちの苦悩とは? 学校・療育の先生はどこをみている? 発達障害の大人たちが感じていることは?
「発達障害」をとりまくあらゆる人々の言葉や経験が集まり,「人類学」の本になりました.
いつもとちょっと違う視点で,発達障害をみつめてみませんか?
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目次
はじめに
序章 発達障害を人類学する、ということ
1 発達障害とは
2 発達障害はどこからやってきた?
3 発達障害を人類学する
4 調査者の立場性
5 本書の構成
第1章 「発達障害は増えているのか?」という問い
1 答えのない問い
2 可視化された障害:啓発団体などの立場
3 子どもとの関わり方を問題化するバックラッシュ
4 議論の争点
第2章 診断という不確かなモノ
1 発達障害の診断
2 医師にとってのわからなさ
3 診断の先にあるもの
4 ディスアビリティを診る
第3章 現場としての学校
1 はじまり
2 「違い」のマネジメント
3 学校生活の様子
4 自己肯定感
5 頑張りという美徳
6 発達障害のある先生たち
第4章 発達障害をもつ子どもの療育
1 療育とは
2 ひまわり教室にて
3 母親たちのケア
4 療育を考える
第5章 成人当事者
1 中途診断者としての成人当事者
2 成人当事者の発信活動
3 成人当事者の自助活動
第6章 複雑なアイデンティティ
1 ここにもあそこにも、発達障害
2 どのマイノリティ性を標ぼうするか、ということの先に
3 インターセクショナリティという概念
4 発達障害とインターセクショナリティ
おわりに
著者プロフィール
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序文
はじめに
本書は日本における発達障害について,医療人類学の立場から研究した成果である.二〇一四年に提出した私の博士論文が柱となっており,その内容を一般読者の方にわかりやすいように書き換えるとともに,より最近の研究の成果などを加筆した.このように学術的な研究をもとにしてはいるが,研究者ばかりでなく,発達障害や人類学に関心のある一般の方々や学生にも手にとってもらえるような本にしたいという思いがある.そのため,先行研究の整理や方法論の検討,理論的枠組みの提示といった学術書にあるような構成は採用していない.本書のもととなっている論文などについては「おわりに」に示したので,より学術的な詳細をお知りになりたい方はそちらを参照していただけたらと思う.
近頃は,大きな書店で発達障害に関する本を探してみると,独立したコーナーが設けられていて何十冊もの本が書棚に並んでいる.それほど,発達障害に関するさまざまな情報が世の中に求められているということなのだろう.そのなかには,発達障害をもつ人が自身の経験について書いたものや,発達障害の子どもを育てる経験について親が書いたものもあれば,精神医学や心理学の専門家が診断や支援の方法について書いたものもある.そうしたなかで,本書は少し異色かもしれない.私の研究関心は,「発達障害」という概念が,二〇一〇年前後という特定の時期に日本国内で定着していく過程を追うことで,その際にどういったことが議論され,どういった実践が生まれ,どのように発達障害をもつ人々の集団性とアイデンティティが構築されていくのかを知りたい,というところにあった.だから,本書は診断や療育,特別支援教育,自助グループなどさまざまな現場での個別的な活動を描いてはいるが,それをより大きな社会的・文化的視点に立って解釈し,意味づけようとしている.このようにミクロな個人の物語とマクロな文脈を行ったり来たりしながら関連づける記述は,人類学のエスノグラフィーの特徴の一つだ.
本書を手にとってくださった方のなかには,ご自身が困っていたり,あるいはいま目の前に困っている人がいたりして,発達障害について学んで,状況を改善する具体的な手立てを知りたいという方もいるかもしれない.そうした読者にとっては,本書は期待外れな部分もあるかとも思う.でも,個人の物語は,常にその人を取り巻く文脈に影響を与え,また影響を与えられながら存在している.したがって,発達障害を本人の障害,本人の生きづらさに安易に帰すことなく,本人を取り巻く社会環境や時代の空気といったものに目を向けるための一つのヒントに,本書がなれば幸いである.それが,生きづらい現在の状況を相対化して,支援とはまた別の方法で,少し楽になるきっかけになるかもしれない.
このあとに続く序章以降の章は,それぞれが独立した構成となっている.順を追わずとも,どの章から読み始めてもよいので,気になったところから読み進めていただけたらと思う.