2131脳性まひの療育と理学療法
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2療育の歴史の概略1 1970年代前半,日本の療育現場でも本格的に「脳性まひの早期発見・早期治療」が叫ばれるようになりました.ボバース法とボイタ法が相前後して日本に紹介され,それらを導入する流れが,よりよい治療方法を模索していた全国の療育・医療側に起こりました.1.ボバース法 日本でその後広く普及したものに,ボバース夫妻が提唱してきたボバース法があります.ボバースアプローチ(NDT:Neuro Developmental Treatment,神経発達治療)といわれます.「抑制と促通」,つまり「病的なものを抑制しつつよい動きを促通する」というコンセプトで,それまでの経験と医学知識を重ね合わせつつ考えられ組み立てられた治療法として,広く療育界に受け入れられていきました.ボバース法は概念であり,画一化した手技はなく多彩になります.脳性まひの治療方法が確立していない中では,魅力的な考え方・内容として普及がなされました.日本での第1回ボバース法講習会は,1973年に東京で開催されました.2.ボイタ法 一方ボイタ法とは,「体の運動系反応として存在している」とボイタ氏が提唱した「反射性移動運動」を用いて,生下時から独歩に至るまでの正常運動発達にみられる筋肉の活動を,本人の意思とは関係なしに誘発する運動療法9),とされています.「ボイタの7つの姿勢反応などを使って,病的状態・中枢性協調障害・脳性麻痺危険児をみつけ出し,治療手技としてのボイタ法を実施して脳性まひに発展させないことを目指す」,または「ボイタ法で脳性まひにおける運動障害の改善を目指す」という方向性と理解しています.普及を目指した第1回のボイタ法講習会は,1975年に京都の聖ヨゼフ整肢園で開催されました.3.痙縮減少を目的とした手術 これらの早期療育が日本に導入され全国的に普及した中でも,多くの子どもへの痙縮の治療対応は十分に進まず,四肢の変形は進行し,学齢期以降になると,四肢の変形に対する矯正手術・アライメントを整える整形外科手術がなされていました.それに対して,福岡県立粕屋新光園園長であった松尾隆先生は,痙縮を減少させることを目的とした手術を提案,確立しました.この「整形外科的選択的痙性コントロール手術」10)は日本で広く浸透しました.諸外国でも「整形外科的多部位同時手術」という名称で同様な手術が行われています.本手術によるアライメントの矯正と痙性抑制による運動機能などの改善には,小児神経科医としても目を見張ったのでした.そして一方で,痙縮を減少させることを主な目的とした理学療法としての上田法治療が,ほぼ同じ頃,1988年に公表され,主に療法士の間で広まりはじめました.4.上田法と各種痙性抑制法 これこそ筆者のみならず,日本の脳性まひの療育・治療において,大きな変換点を迎えたときと理解しています.脳性まひの治療・療育・理学療法において,はじめて「運動障害の改善を目指すために,痙縮の改善をまず目標にする」という考えをもつことが可能になったからです. 筆者は,整形外科的選択的痙性コントロール手術などの痙性筋の切離・延長手術の整形外科的方法と,理学療法としての上田法を通して,脳性まひに第1章脳性まひの(リ)ハビリテーション治療―日本における流れ

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