2190精神科研修ノート 改訂第2版
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21体験から 精神科医という職業に就いて20年が経った.研修初期1)に担当した忘れられない患者さんがいる.思春期の方であった.これから社会に羽ばたこうとする矢先に精神的不調による入院を余儀なくされ,今後の人生の展望をもてなくなるという予期せぬ境遇に肩を落とされていた.私もご本人の絶望が痛いほどわかり,うなだれるしかなかった.若い私にとって,自分の支援者性についての自信がガラガラと崩れ落ちる,本当につらい体験であった. そうしたつらい時期をなんとか乗り越え,しばらくはこの患者さんのことをあまり思い出すこともなく職業人生を一心不乱に送っていた.そして気づいたら,思春期に発症する精神疾患の早期支援を,臨床的にも,研究的にも専門とするようになっていた2),3).この患者さんに導かれてこの道に進んだのだ,と私は感慨にふけった. しかし本当にそうなのだろうか.研修では,たくさんの疾患や状態の患者さんの治療を経験した.どうしてそれらの専門家にならなかったのだろうか.偶然だろうか,必然だろうか.自分が精神科医を目指したきっかけを改めて探っていくと,高校生のとき,ふと自宅の本棚で見つけた精神科医フランクル著の「夜と霧」を読んだときの衝撃を思い出した.自分の存在の意味はなんだろうか,何をよりどころに,何を目指して生きていけばよいのか,悩んでいた頃だった.ナチス・ドイツによるユダヤ人強制収容所において,自らもいつガス室に送られるかわからない状況で,人間性について深い感受性と洞察をもち続けられる精神科医とは,何と貴重な存在なのか.私はそれ以来迷うことなく,修道僧のように,障害者ボランティアに打ち込み,医学部を目指し勉強しはじめた.どんなことに意味や価値を求めて人生を送っていくかということは,知らず知らずのうちに私のなかに内在化し,思春期にはその原型が形作られていたのだろう.だからフランクルに感動し,だから思春期の患者さんにこころ揺さぶられ,だからこそ今の専門に至ったのだろう,と思わざるを得ない4).2主体価値とは 思春期の重要性を自分自身の人生体験としても実感できると,中年期でも,高齢期でも,あらゆる年代のあらゆる精神疾患の患者さんの症状の背景に,その方の思春期までの価値形成の過程が反映し,そのことを5年10年かけて丹念に精神療法的に扱っていくことが本格的な回復につながることを,治療者として経験できるようになった.そして,「人間はどのように生きているのだろう?」と改めて考えるようになった.人間は,短期間の行動であれば,こうしたい,こうあるべきだ,だからこうしよう,と意識的に意思決定をするが,さて年単位の長期的な行動の場合はどうであろうか?長期的な行動選択については,意識されない動因が大きいのではないだろうか?こうした,普段は意識されないような長期的な行動選択の動因となってその人の人生を特徴づけていくものは何だろうか?そしてそれは,親の価値意識の子どもへの伝達や,社会に共有されている価値観に対する反発や取り込みなどを経て,思春期発達の過程で個人に内在化されていくものではないだろうか?それは1人ひとりに固有のものであり,こうした「主体価値」とでもいう1A 精神科医を志す研修医・学生諸君へ価値精神医学とは何か-「人はどう生きるか」の科学

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