2213結節性硬化症の診断と治療最前線
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2結節性硬化症の諸症状の記載の歴史1臨床症状の記載の歴史1) 1862年3月25日のベルリンの産科学会で,von Recklinghausenは,生後間もなく死亡した新生児の心臓表面から盛り上がった,心室に突出した,さらには心室壁に埋まった多発性の心腫瘍の病理所見を報告した.左心室壁の腫瘍は鳩の卵大で,これらの心腫瘍をmyomata(筋腫症)と分類し,新生児の脳には多数のscleroses(硬化)がみられたと簡単に記載しており,結節性硬化症の最も早い記載として知られている. その後1880年に,Bournevilleは3例の知的障害のある患者の脳病理所見を報告した.このなかの3例目はパリのサルペトリエール病院に入院した女児で,乳児期にけいれんを発症し,それが持続し,知的障害があった.15歳のときには右痙性片麻痺があり,鼻,頰,額に丘疹状の発疹(acne rosacea, 血管拡張したざ瘡),頸部の多発性軟疣(molluscum)があったことが記載されている.この女児のけいれんは毎日持続し,ベッド上で突然死した.剖検で周囲の脳より硬く,盛り上がり,白味を帯びた多数の脳回がみられ,大脳脳回の結節性硬化と記載された.1年後,BournevilleとBrissaudはパリのビセートル病院に入院した4か月から右優位のけいれんと知的障害があり,けいれんの持続,心雑音,肺の捻髪様ラ音を呈して死亡した4歳の男児の病理所見を報告した.脳は肥厚し,硬化した脳回があり(図1)1),側脳室壁には2~5 mmの小さな硬化した結節が多発していた.心臓は肥大した心室壁と心肥大があり,腎臓には黄白色の小さな腫瘍ができており,脳の病変と腎臓の病変が関係していると記載した. 顔面の皮膚病変を最初に記載したのは1935年Rayerで,血管腫性疣(angiomatous vegatations)として挿し絵を掲載している(図2)1).BalzerとMenetrierは21歳の女性の顔面の結節をadenoma sebaceum(皮脂腺腫)と命名したが,けいれんや知的障害の有無,その他の症状には記載がない.1890年,Pringleは25歳の軽度知的障害のある女性の顔面の病変について,Balzerの症例も含めて先天性皮脂腺腫として報告し.これ以後顔面の皮脂腺腫〔その後,angiofibroma(血管線維腫)とよばれるようになった〕についてPringleの名前が使われ,皮膚科領域では結節性硬化症のことをPringle病とよぶこともある.しかし,Pringleは結節性硬化症のその他の臨床症状や病理所見には気づいていなかったとされる. 1908年,VogtはBournevilleによって記載された大脳の結節性硬化と顔面の皮脂腺腫が関連していることに気づき,てんかん,知的障害,顔面の皮脂腺腫を結節性硬化症診断のための臨床症状の三徴(clinical triad)とした.また,Vogtは心臓の腫瘍,腎臓の腫瘍も結節性硬化症に合併するものであることを知っていた. 網膜過誤腫は1920年van der Hoeveによって記載され,肺の囊胞は1939年にBergとVejlensによって,さらに肺リンパ脈管筋腫症の記載は1954年Dawsonによって,X線所見でハチの巣状の病変を示し呼吸不全,気胸を合併した9例の報告が最初である.また,皮膚の白斑は1935年a第1章結節性硬化症の全体像と遺伝結節性硬化症の歴史大野耕策 (独立行政法人労働者健康安全機構山陰労災病院)A

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