ある限りラボでバイパスの練習,そして解剖学教室でcadaver dissectionをした.ただ,いくら症例が多くてトレーニング施設が整っているとはいっても「半年程度の練習や見学が本当に役に立つのか?」という不安もあった. しかし振り返ってみると,この留学中の基礎トレーニングは技術向上に大きく寄与したし,世界のトップセンターで高難易度手術とその後の経過を間近で見たことは,難治疾患の治療選択における精神的支柱になった.4二刀流のはじまり 帰国後は,大学病院の下っ端という立場に戻った.しかし自身が行える治療手段が増えたことと,当時の限界を知ったことで自信がつき,自分で症例を発掘して,先輩の指導下に執刀するようになった.いよいよ二刀流としての経験が始まったのである.そして当時,治療を担当する際に心がけたのは,とにかく治療をよい結果で終わらせることであった.「合併症を出すようでは治療を依頼されなくなる」と考えたのである.このため当初は無理をせず,どちらの手技であってもよい結果を出すことに集中したが,そうすることで徐々に症例数が増えてきた.その後,血管障害のチーフを任されるようになったが,当時の体制に従って5年間,脳動脈瘤は「クリップファースト」で治療した.当時,すでにISAT(International Subarachnoid Aneurysm Trial)発表後であったため自身にも葛藤があったが,チューリッヒでは外科手術中心でよい治療成績が出ていたし,それまでの修行の過程で,「所属する組織の方針に従って自分を磨くこと」の重要性を学んでいた.また物は捉えようであって,「開頭手術を経験する絶好の機会」と考えるようにした.実際,この頃に深部動脈瘤のクリッピングやハイフローバイパスを習得し,多くの開頭術を経験したことが,自身の二刀流スタイルを決定的に確立させた.5二刀流の指導 このような取り組みを継続していると,治療症例がさらに増加しはじめた.当時は「どちらの治療になっても,高難度であっても,よい結果を出しているからだ」と思っていたが,必死で頑張っていた自分に先輩たちが温かい心で患者を紹介してくださっていたのだと,今になって思う.一方で後輩たちを指導する立場にもなって,「二刀流をどう育てるか」について考えるようになった.その結果,手術を任せるかどうかの基準は「安全に治療を終えられるかどうか」となった.患者さんの治療結果を優先することは指導者の立場上も重要であるし,成功体験を重ねることが人を育てると実感したからである.また,基礎トレーニングや手術助手の経験が少ない人は器具の扱いに慣れておらず,攻め方や引き際の判断が不十分なためトラブルが多いことを知った.さらには,このような指導経験から,自分自身も多くのトラブルシューティング法を学ぶことができた. さてここで,現在の指導法を紹介しよう.まず外科手術のトレーニングとしては手術の助手経験が重要だが,その際必ず術前の予想図を描き,カンファレンスでプレゼンテーションすることをルーチンとしている.また,バイパスのトレーニングを一定期間行ってもらい,それが上手くなれば術者をさせる.血管内治療のトレーニングとしては診断アンギオグラフィーを多数経験すること,そして手術の助手をしながらデバイスの使用法を学ぶようにしてもらう.どちらの治療Ⅱ 私の経験総 論1.血管内手術中心から二刀流へ ●7
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