2383EXPERT膠原病・リウマチ 改訂第4版
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やアジアにおいても,明らかなRAの人骨は発見されていない.このことから,RAが実はアメリカ大陸固有の病気であり,1492年の新大陸発見後に全世界に広がったと考えることもできる.Rothschildら2, 3)は,RAがアメリカ大陸固有の微生物や細菌感染,それらに対するアレルギー反応である可能性を指摘している.現時点ではRAの病因は明らかではないが,古病理学から発信された興味ある仮説である. 17世紀の中世ヨーロッパにRAが存在していたことが当時の絵画からもうかがえる.それは,16~17世紀に活躍した画家Pieter P Rubens(1577~1640年)により,1609年に描かれた“Saint Matthew”の絵である4).彼の右手の第二,第三指の中手指(MCP)関節が腫脹している.さらに,1633~35年に描かれた“聖アンナと聖家族”では4),アンナの左手首,第二指のMCP,近位指節間(PIP)関節が腫脹している.自画像4)も,左手の手首の腫脹や,指の変形が描写されている.これらは,20~30年のRAの自然経過に合致しており,またRubens自身がRAであった可能性を示唆している. RAをはじめて記載したのは,1800年Augustin- Jacob Landre-Beauvaisと信じられている.痛風が裕福で頑健な人に発症しやすいと考えられていたのに対して,RAは虚弱体質の人に発症しやすく貧困と関連があるとされていた.1819年には,Benjamin C Brodieにより,RAが滑膜炎で始まり,次いで関節軟骨を破壊していくことが報告された.リウマトイド結節は,1857年Robert Adamsにより報告された.1858年には,AB Garrodが“rheumatoid arthritis”という言葉を提案した.疾患概念が定まらなかったため,アメリカリウマチ学会(American College of Rheuma-tology;ACR)がこの用語を公式に採用したのは,1941年であった.その後,1948年,Harry M RoseとCharles A Raganが感作ヒツジ赤血球凝集反応をリウマトイド因子の検出法として開発した5).b. 全身性エリテマトーデス(systemic lupus ery-thematosus;SLE) 1845年,Ferdinand von Hebraは“蝶の形をした,顔面や両頰と鼻にかけてみられる発疹”を報告した.1851年にPierre A Cazenaveが円板状エリテマトーデスの患者に対して“lupus erythe-mateux”という用語を用いた.これが現在の“lu-図1膠原病の位置づけ[病理組織学的による][病因による][臨床による]膠原病自己免疫疾患リウマチ性疾患結合組織疾患膠原病の他にMarfan症候群,Ehlers-Danlos症候群,ムコ多糖沈着症など膠原病の他に橋本病,自己免疫性溶血性貧血,重症筋無力症など膠原病の他に変形性関節症,痛風,感染性関節炎,神経性関節症など3膠原病・リウマチの概念と歴史第1部A膠原病・リウマチの概念と歴史

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