2530ファブリー病UpDate改訂第2版
2/10

a.Fabry博士とAnderson博士によるAnderson—Fabry病の発見 ファブリー病(Fabry disease)は,図1に示すように,1898年,ドイツ人医師Johannes Fabryと英国人医師William Andersonにより別々に記載された.すなわち,Fabry3)は“Ein Beitrag zur Kenntnis der Purupura hemorragica nodularis(Purupura pupulosa hemorrhagica Hebrae)”と,Anderson4)は“A case of angiokeratoma”と報告した. Fabry博士の報告した患者は13歳であり,4年前から左膝に皮疹がみられ,徐々に拡大し,左大腿と体幹に広がり,色は青黒色であった.彼はこれを「びまん性被角血管腫(diffuse angiokeratoma)」と命名している.また,皮膚生検の病理組織の特徴を記載し,進行性疾患であると述べているが,原因に関しては不明としている.ただし,患者の父方祖父が49歳で腎疾患にて死亡している. 一方,Anderson博士の報告した患者は39歳の男性であり,蛋白尿を呈し,静脈瘤,リンパ浮腫を伴っていたため,彼は血管を障害する全身性の疾患であると考えた.皮膚病変に関しては,全身性の多歴史1,2)12A ファブリー病の歴史と概要一般財団法人脳神経疾患研究所先端医療研究センター 衞藤義勝1ファブリー病の歴史と概要1886年:ベルリン大学卒業,ボン大学で研修1889-1929年:ドルトムント病院皮膚科 教授1898年:Ein Beitrag zur Kenntnis der Purpura haemorrhagica nodularis(Purpura papulosa haemorrhagica Hebrae). Archiv für Dermatologie und Syphilis, Berlin(13歳男児,皮疹)を発表1867年:セントトーマス医科大学を卒業1873年:英国海軍軍医1874-1879年:日本で海軍医学(明治7~12年, 講習所で教官)1891年:セントトーマス医大解剖学外科学 教授1898年:Case Report“Angiokeratoma Corporis Diffusum Universal” British J. Dermatology(39歳男性, 蛋白尿,リンパ性浮腫,皮疹)を発表図1 Fabry博士(上段)/Anderson博士(下段)と症例報告(1898年)

元のページ  ../index.html#2

このブックを見る