毛細血管性拡張,上皮化突起を呈し,手掌,足底を除く皮膚に認められ,陰囊に著しくみられ,血滴状の形態を呈していると記載した. Fabry博士とAnderson博士双方の記載は,今日のファブリー病の皮膚病変に一致し,今日「Ander-son‒Fabry病」と呼ばれる由縁である3).b.その後のファブリー病研究の歴史 その後の1925年,Weickelselは本症に特徴的な角膜混濁と結膜の血管異常を記載し,1947年にはPompeが腎不全で死亡した2兄弟の解剖所見を記載し,全身の血管に異常空胞化を認め,全身性蓄積症であることを報告した. 1950年,Scribaは,蓄積している物質は脂肪であることを同定した. 1958年,Wallaceらはヘテロ接合体(heterozy-gote)女性患者の剖検組織で空胞化細胞を報告した. 1963年,Sweelyらにより,蓄積物質がグロボトリアオシルセラミド(globotriaosylceramide:Gb3)[別名セラミドトリヘキソシド(ceramide trihexo-side:CTH);Galα1→4Galβ1→4Glcβ1→1’Cer]であることが同定された4). 1965年,Opitzらは,本症が家系調査でX連鎖性遺伝疾患であることを報告した5). 1966年,Bradyらは,本症の欠損酵素がCTHの分解酵素欠損であることを証明した5). Kintらは,4‒メチルウンベリフェロン(4‒meth-ylumbelliferone:4‒MU)の蛍光基質により簡単にα‒ガラクトシダーゼA(α‒galactosidase A:GLA)の酵素欠損を見出し報告した. 1973年,Desnickらは,酵素診断法を臨床的に確立した. 1986年,Bishopらは,ヒトGLAのcDNAのクローニングと遺伝子構造を解明した6). 1987年,Lemanskyらは,遺伝子変異を同定した7). 1995年,中尾らは,心亜型(cardiac variant)ファブリー病を報告した8). 2001年,Engら9),Schiffmannら10)は,それぞれアガルシダーゼβ(agalsidase β),アガルシダーゼα(agalsidase α)による酵素補充療法(enzyme replacement therapy:ERT)の臨床治験成績を報告した. ERTの臨床効果に関して,特に心臓,腎臓に対して,早期治療により臓器障害の進行が抑えられることが発表され,ERTの10~20年の成果が報告されている11‒13).また最近では,新しい治療法としてERTは長時間発現酵素であるポリエチレングリコール(polyethylenglycol:PEG)結合酵素14),グルコシルセラミド(glucosylceramide:GlcCer)合成酵素阻害薬であるlucerastat,venglustatなどの薬剤が開発中である15,16).遺伝子治療として,アデノ随伴ウイルス(adeno‒associated virus:AAV)9型あるいはレンチウイルスベクター(lentiviral vector)を用いた治療法が治験されている17‒19). 現在,早期診断,早期治療のためのタンデム質量分析(tandem mass spectrometry:MS/MS)によるハイリスクスクリーニング,新生児スクリーニングの試みが報告されており,イタリアでは新生児マススクリーニングで約1/3,20020),台湾では1/1,25021),またわが国では井上らにより男児1/3,500の割合でファブリー病が発見されており22,23),従来考えられていたより頻度が高いことが明らかにされた.a.先天性酵素欠損による臓器障害 ファブリー病は60余種あるライソゾーム病(lysosomal storage disease)の1つであり,先天性脂質代謝異常症である.ライソゾームは細胞内小器官であり,1952年にde Duve24)によって発見された(図2).ライソゾームの機能について,最近は細胞ファブリー病の病因,病態231 ファブリー病の歴史と概要図2 deDuve教授1952年にライソゾームを発見,1974年にノーベル生理医学賞を受賞.
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