ば、本人が普段の生活にほとんど支障をきたしていなかったり、支障をきたしていてもそれが診断の有無とは違ったレベルで解決可能なことだったりすると、あえて診断をつけるということには消極的な様子も見受けられた。これは、医療者ではない人にとってはちょっと意外なのではないかと思う。一般に、現代の日本社会に生きる私たちは、医学に対して純然たる科学というイメージをもっていて、個々の患者の暮らしぶりだとか診断をどれぐらい必要としているかといったこととは無関係に、研究のなかで蓄積された生物医学的なデータとエビデンスを基に実践されるものだと考えがちだ。しかし、実際のところは、発達障害の診断に関していえば、個別の生活環境と支援の利活用を踏まえた、社会的な判断だということがいえる。つまり、診断のその先に、患者にとってどんな生活の変化があるのか、ということを捉えているのだ。たとえば、ある医師は、小学校に入学する年齢の子どもに診断を出したとき、その子どもが入学する予定だった自治体の教育委員会が特別支援学校への入学を強く勧めたことについて異議を唱え、通常学校に入学して支援員を配置するようはたらきかけたという。その子どもは発達障害ではあるが、長い目で見れば適応はよくなっていく可能性が高いと思われ、そのように教育委員会に伝えたものの、「小学校は特別支援学校で、中学校から通常の学校に戻るということもできる」といわれたのだそうだ。しかし、その医師は、いったん特別支援学校に入学したら本人の状態に関わらず通常の学校に戻ることは困難になってしまうことを懸念し、「長い68
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