「子どもは親より先に死んではいけない」という強い信念をもち,長きにわたり小児医療に携われ,晩年には国立精神・神経医療研究センター病院名誉院長,東京都立東部療育センター名誉院長,日本重症心身障害学会名誉理事長を務められた小児神経学,障害児医学のパイオニア,有馬正髙先生.先生の生涯にわたる業績を生前のインタビューを通して1冊の本にまとめました.
関連書籍
ページの先頭へ戻る
目次
はじめに
第1章 生い立ち~医師への道
第1回 有馬先生インタビュー
生い立ち
=生い立ち=
第2回 有馬先生インタビュー
旧制高等学校から大学へ、そして医師への道
=旧制高等学校から大学へ、そして医師への道=
第2章 新人小児科医 小児神経学に向う
第3回 有馬先生インタビュー
東大小児科入局、けいれん外来、船医の経験
=東大小児科入局、けいれん外来、船医の経験=
=船医の経験=
=ウィルソン病との出合い=
第3章 伊勢湾台風支援・医学の革命的進歩
そして日本小児神経学会誕生秘話
第4回 有馬先生インタビュー
自衛隊中央病院、医学の進歩、小児神経学研究会の誕生へ
=自衛隊中央病院と伊勢湾台風支援=
=昭和30年代の医学の進歩=
=小児神経学研究会の誕生へ=
第5回 有馬先生インタビュー
東邦大学へ、サリドマイドベビーとの関わり
=東大小児科時代=
=東邦大学へ=
=府中療育センターのはなし=
=原爆小頭症=
=サリドマイドベビーとの関わり=
第4章 鳥取大学脳神経小児科学講座
外因性脳障害への更なる関わり
第6回 有馬先生インタビュー
森永ヒ素ミルク事件とその後
=鳥取大学脳神経小児科誕生秘話とその発展=
=医学部学生運動はなやかなりしころの学会で=
=森永ヒ素ミルク事件とその後=
第7回 有馬先生インタビュー
重症心身障害学会のはじまりのころ
=ヒ素ミルク事件ふたたび=
=国立武蔵療養所神経センターへ=
=国立武蔵療養所小児神経科の誕生=
=トリエンチンのはなし=
=国立精神・神経医療研究センター武蔵病院での院内改革=
=国府台病院院長から武蔵病院院長へ=
=知的障害=
=重症心身障害学会のはじまりのころ=
第5章 重症心身障害の医学と医療
国立精神・神経センター研究所及び病院から
東大和療育センターへ
第8回 有馬先生インタビュー
治らない病気の子どものお母さんへの思い
=国立武蔵療養所神経センターと病院=
=有馬症候群の患者さんとの出会い=
=治らない病気の子どものお母さんへの思い=
=新しい治療法について=
=胎児性アルコール症候群=
第9回 有馬先生インタビュー
東京都立東大和療育センターのこと
=北浦雅子 重症心身障害児(者)を守る会名誉会長との出会い=
=東大和療育センターのこと=
=よつぎ療育園=
第6章 都立東部療育センターのこと
国内学会との関わり、国際交流について
第10回 有馬先生インタビュー
東京都立東部療育センター
=東京都立東部療育センターができるまで=
=開設準備室時代=
=いよいよ開設=
第11回 有馬先生インタビュー
知的障害について 学会との関わり
=重症心身障害学会のこと=
=小児精神神経学会のはじまり=
=小児神経学会と機関紙「脳と発達」の命名=
=知的障害との関わり=
=重症心身障害学会=
第12回 有馬先生インタビュー
海外との交流について
=海外との交流について=
―知的障害のはなし―
―重症心身障害のはなし―
私家版「有馬正髙ものがたり」の後に
付 録 有馬先生の系図ならびにご経歴
「有馬正髙ものがたり」後書きに代えて
ページの先頭へ戻る
序文
はじめに
有馬正髙先生が東京大学,東邦大学,鳥取大学,国立精神・神経センター(現国立精神・神経医療研究センター),都立東大和療育センターなど多くのご活躍の場を経て,2014年3月東京都立東部療育センター院長を退任され名誉院長となられました.これを記念して私たちは「有馬先生の本」を作りたいと考えました.先生は,都庁内に設けられた東京都立東部療育センター開設準備室長として計画を進められ,当センターの基礎を築かれた大院長というだけでなく,日本の小児神経学,障害児医学のパイオニアであり,つねにこの領域の先頭に立って臨床・研究・教育を牽引してこられました.
有馬先生はこれまで存在していなかった組織をゼロから築きあげ,仕事を確立し,人を育てるという難事業を,一見したところでは,かるがると成功させてこられました.たとえば日本初の小児神経学の講座である鳥取大学医学部脳神経小児科学講座開設,国立高度医療専門センターである国立精神・神経センター神経研究所で発達障害医学の研究部である疾病研究二部を同じく国立精神・神経センター武蔵病院における小児神経学部門を立ち上げ,国立精神・神経センター精神保健研究所知的障害研究部再編にも関わり,それぞれの場を本邦有数の場に育て上げ,多くの人材を輩出してこられました.重症心身障害児施設については,東京都立府中療育センター設立準備に関わり,1968年の開設に際しては医長として病棟の臨床の第一線に立って子どもたちの治療管理を指導された実績がありますし,1966年に開設が始まった全国の国立療養所の重症心身障害病棟の臨床や研究には直接・間接に大きな力を発揮してこられました.さらに都立東大和療育センター,都立東部療育センターについては,重症心身障害児医療拠点のひとつとして開設準備から関わり,高い志をもって運営を軌道に乗せました.これら先生が開いてこられたすべての場は,現在も国内トップクラスの施設としてだれもが認める場となっています.その上,それぞれの場から有為の若者たちが育ち,日本の小児神経学,障害児医学の実践と研究のメッカとなっていることは驚くべき奇跡です.これらはその一つを新しく作り上げるだけでも大変な大事業ですが,これらの大事業の数々を有馬先生は一見かろやかに,活き活きと成長する活動体として完成させてこられました.
私たちは折に触れ,先生の生い立ちや学生時代,戦争をはさんで移り変わる時代の中での生活や,医学と医療の歴史を含めてさまざまなお話を伺う機会がありました.それは私たちの記憶の中だけに留めておくには,あまりに貴重なお話なので,多くの方々にも知っていただきたいと思いました.そして有馬先生のかろやかさの秘密を解き明かすことができればとの思いもあり,あらためて私たち3人(加我牧子・岩崎裕治・水野 眞)が聞き手となって先生のお話をうかがい,一巻の書として残したいと思いたちました.有馬先生は快く了承してくださり,2015年5月からほぼ1週間に一回のわりで1時間から1時間半のインタビューを12回にわたってお引き受けくださいました.インタビューに際しては先生の思い出を,時代背景に懐かしさをこめて,実にスマートに正確に語ってくださり,先生の記憶の確かさ,豊かさ,そして若き日から今日まで長年にわたって新しい情報に迅速にアクセスし,かつ昇華してこられたことを知って,聞き手である私たちは驚嘆し,とても幸せな時間をいただきました.とはいえ素人集団によるインタビューということもあり,お話の時代が前後したり,重複したりする場面も多くありましたがインタビューの形式をとどめた出版ということでお許しいただければと思います.
本書を読んでくださった皆様が有馬先生のお言葉の中から,先生のお人柄に接し,先生のすぐれた視線を通して小児神経学,障害児医学の過去・現在・未来に思いをはせていただければ幸いです.
2017年3月2日 有馬正髙先生の米寿のお祝いの日に
加我 牧子
岩崎 裕治
水野 眞
以上が2017年3月2日に本書の前身である「私家版有馬正髙ものがたり」に記した前書きです.「私家版」は先生が最後の公職である東京都立東部療育センター院長を退任され,名誉院長となられたことを記念して,先生ご自身に2015年5月から2016年1月までの8か月間に12回にわたるにインタビューをさせていただいた記録を出版したものです.合計500部を印刷し,関係の方々に読んでいただきました.
インタビューの後も先生は引き続き,都立東部療育センターに定期的にお越しになり,先生の卓越した知性と情意,態度をさまざまに私たちの記憶の中に残してくださいました.
そして2022年12月12日ご逝去になりました.93年のみごとなご生涯でした.
先生がご自身や患者さんご家族のご経験から,もっとも避けたいと一貫して考えていらしたことは「子どもは親より先に死んではいけない」という信念でした.にもかかわらず,インタビュー終了後,そして前書発行後に,先生ご自身がご長女の死というお辛いライフイベントを経験なさいました.お嬢様をなくされた後の先生のご様子は,はたの者にとっても心痛む体験ではありましたが,外にお見せになるご様子は,かつての生死を超越した,あるいは超越しようと努めたもののふ(武士)のように,と努力しておられるのがわかりました.若き日,先生が船医に応募なさったことごとを話してくださったとき,「私は海軍ですからね.」とさらっとおっしゃったことを思い出しました.有馬正文中将のご子息であったこと,終戦直前に海軍兵学校予科の学生になったこと,青年に至るまで生粋の軍国少年であった時代のことすべてが頭をよぎるご発言でした.ふだんからの姿勢正しい立ち姿は多くのみなさまの記憶に残っていると思います.それだけに先生のお辛い内面をいっそう想像できてしまうということもありました.
この後,2018年に,先生は長期にわたり担当なさった重大な役職であった重症心身障害児(者)を守る会理事長と,日本重症心身障害学会理事長を退任なさり,後継者にゆだねるという決断をもみごとな形で実現なさいました.これはかつての日本人の美意識にかなうものであったように思います.
有馬正髙先生は小児科医として第二次世界大戦後の小児医学の革命ともいうべき大発展,大変革の中で,小児神経学の基礎を築き,育て,現在に花開かせた巨人であり,臨床医として,研究者として,教育者として卓越したご功績を残されただけでなく,日本の障害児医学の基礎を築き,重症心身障害児(者)のための医学をも定着させ,世界に類を見ない大輪の花を開かせた偉人でした.
お亡くなりになった12月12日は,奇しくも終戦から2年後に「児童福祉法」が公布された日付であり,「我が国の子どもたちすべての事を忘れないように」という,先生からの最期のメッセージのようにも感じられます.
私たちは,前書,私家版「有馬正高ものがたり」に記載された後の有馬先生について,そしてそれ以後の有馬先生について,より多くの方々に知っていただきたいと強く考えるようになりました.幸い,中川栄二先生,稲垣真澄先生,トーキョーアートならびに診断と治療社のご協力を得て本書の刊行ができることになりました.
本書を手に取ってくださった多くの方々が,有馬先生のご生涯の中からご自身にとっての心に残ることごとを感じとっていただければと思います.
2023年8月10日 猛暑の夏の終戦の日を前に加我牧子